ぼそぼそ

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交換は必ず釣り合う

交換というのは、側から見てどんなに不均衡なもののように見えても、その成立時点では必ず釣り合うものである。
交換が成立する時、それについて一番よく理解しているのはほとんどの場合では本人である。傍観者はしばしば不均衡の状態に対して様々なコメントをするが、それはよくて的外れ、ひどいときにはただの価値観の押し付けである。傍観者たちがしばしば犯す過ちとして、金銭が交換における唯一の媒体であると勘違いすることが挙げられる。これは大きな間違いである。この種のものを含む無理解は、しばしば本人や彼らに近い人間たちと会話することによって解消される。
稀に、交換が必ず釣り合うものであることを本人が理解できていないことがある。このようなことがなぜ起こるのかについて、しっかりとした理解には至っていない。しかし、一つの例として、本人が自分の側にある価値を認識しきれていない場合がある。自分の目に入る範囲では、交換をきっかけとした失敗はしばしばこの形をとっている。
時間の経過とともに、かつて成立していた交換が釣り合わなくなることがある。多くの場合、この変化は交換の前提条件が変化したり、消滅することに伴って起こる。タレブが言うように、「脆弱性を最もよく暴くのは時間」なのだ。自分はこの問題への対処法をよく知っているわけではないが、交換の成立時点で問題が生じる可能性を織り込んでおく必要があると考えている。
時折、このような漸次的な変化を経た交換の姿を見た人が、その不自然さについて指摘することがある。経験的には、彼らはバックキャスティングの結果としてそのようなコメントをするに至っている。彼らの推論は多くの場合、非常に的外れである。というのも、彼らは十分な情報を持たずに考えを進めるためである。

記憶が薄れていく

自分の記憶、つまり自分の興味について昔から特徴的だと思っていたことがいくつかある。他人に関する情報、あるいは世間一般のさまざまな事柄に関する知識をよく覚えられること。その記憶がよく続くこと。反対に、自分に関する事柄があまり覚えられないこと。アルバムに載っているような情報(例えば、生年月日、生まれた場所、生まれた時の体重、通っていた場所、等々)についてはよく覚えているのだけれど、直近の出来事をすぐに忘れてしまう。

 「自己検閲」なのだろうか?ともあれ、この傾向は年々悪化の一途を辿っていて、最近では悪い方向へと加速を続けている。簡単にいえば、自分の過去が「過去のこと」として圧縮されてしまい、復元できなくなってしまうのだ。3日前の出来事も、1週間前の記憶も、半年前の経験も、全て「過去のこと」になる。そしてそれらの一部はかき混ぜられて暗い倉庫の中へ放り込まれてしまう。鍵は持っているのだけれど、何せ幾分暗くて中に何があるかは見えないし、手触りで何に触れているのかを確かめていかなければいけない。

 考えているうちに気付く: 記録がされていないのだ。出来事は記録され、記憶される。記憶とは記録の焼き直しのようなもので、版木がなければ刷ることはできない。

 人と話していて余計なことを言ったと後悔することが多くあり、口数を減らそうと心がけてきた(それでも自分はよく喋るほうだと思うが)。話すことと話さないこととの間には暗い隘路が覗いているが、そこに明かりが差したように感じる。恥の感情は人間を黙りこくらせたり、無駄なことについて喋るように急かすのである。自分のことしか話さない人間というのを苦々しく思っていた時期があったのだが、その感情は羨望の裏返しだったのかもしれない。自己中心性に白い目が向けられるようになって久しいわけだが、これによって多くの人間が青白い顔をするようになっている。僕の顔もきっとうす暗く光っているのだろう。

農民とアーティスト

農民はアーティストになれず、逆もまた然り。農民がアーティストになろうとすると挫折し、逆の場合にはひどい抑うつがもたらされる(この抑うつには懲罰的な性質がある)。人間が生まれ持った向き不向きというのは簡単には変わらない。このあたりの根本的な性質が変化するのは偶然の出来事によってであり、意図して転換をもたらすことはほとんど不可能であるように思われる。実際、短い人生の中ではあるが、自分が見てきたなかでそのような転向に成功した人間は存在しない。農民は彼らが世に生を得たその瞬間から農民である; アーティストには自らの特性を抑えておくことはできない。芸術家は志なくして芸術家であり、芸術家であることから逃れられない。彼らに「きっかけ」を尋ねるのはあからさまな農民しぐさであり、それ自体をネガティブチェックとして捉えることもできるであろう。しばしば、挫折した農民が芸術について語ることがある。多くの人は彼らを評論家と呼ぶ。評論家の中に芸術家として成功を収めた人間は存在しないー少なくとも本人の意識の中においては。そのような意味で、アーティストとしての成功というのは極めて認識し難いものとなる。大雑把に(しかし自分はこの区別をある程度信用している)言えば、アーティストの成功は自分が、農民の成功は他人が、それぞれ決めるものである。

柔軟な関係性

文脈によって人間関係に柔軟性を持たせるというのは難しい. これはつまり, 他人との関係のラベリングを場所によって変えるということである. 例えば, ある場所では親と呼んでいる人を別の場所では友人と呼んだり, ある場所では恋人と呼んでいる人を別の場所では友人と呼ぶことがあるだろう.*1 少し違った形で, 自分の人間関係が周囲によってアプリオリに, 異なる形で定義されていることもあるだろう*2

 このようなことをうまくやるのは僕にとってはとても難しい. 僕は人との関係性のラベリングに応じてその人への接し方を変えているようで, 同時にこの二つの結びつきがとても強い. しばしば, 複数の場所で同じ人と接することがあり, そこで気恥ずかしい思いをしたり, 後ろめたい気持ちになったり, 振る舞い方を決めるのに難しさを感じたりすることがある.

 どうすれば他人との関係性を柔軟に捉えることができるのだろうか?直観的には, ラベリングと接し方のつながりを弱めるか, あるいはラベリングを控えるかをすれば, これがもっとうまくできるようになるのだと思う. 他人にどのように接するかということを, その人をどのように位置付けるかということに強く依存させてしまうと, その人を別の方法で位置付けることを何らかの事情で求められた時にスムーズに振る舞うのが難しくなる. そして, 実に腹立たしいことに, そのような要求はしばしば外的なものとして現れるのである!*3 かといって, 癖を抜くのは難しい. 

 他の人にとって, これをうまくやるのは簡単なんだろうか?読んだ人はぜひ教えて欲しい. 

*1:もっと細かいラベリングもあり, そして実際にはそのような粒度の高いラベリングを使っているはずである.

*2:浪人したり, 留年したりすると, こういうことがよく起こるようである.

*3:最もわかりやすいであろう例は, 相手が自分によるその人へのラベリングを個人的なものに留めておきたい場合である. 別の例として, そのようなラベリングの取り扱いが社会的な規範によって求められることもあるかもしれない.

必要なこと

人生というゲームを全体としてうまく進めるために理解しておく方がよいことは多々ある. その中でも, 画一的な解が存在しないような問題について, 早いうちから解き進めて途中式を記述しておいた方が良い. 恐らく何度も消して書いてを繰り返すことになるが, それでもやった方が良い. 

  • 愛とはなにか
  • 贈与とはなにか
  • 三大欲求の量と質はどのようなものか

「迷った」と感じた時, 一番に確認するべきはこの問題への自分の答えに納得がいくかどうかだと思う. それ以外の問題は誤差くらいの差しか生まない. 

憧れ2

「憧れるのを止めましょう」とある人が言った. ところで「憧れる」とはどういうことだろう?

 憧れることは, 必ずしも接近することを意味しない. 憧れから接近に向けた努力が生じることもあるが, 必ずしもそうではない. 人は時として憧れの人に近づこうとするが, 遠くから眺めて過ごすこともある. 人によって傾向に違いがあり, 同じ人でも異なる憧れの人の前では異なる振る舞いをすることがあるように思う. 

 憧れとはadmirationであり, 相手に対する感情的で受動的な振る舞いだ. 憧れる人は, 相手の存在や行動を受容する. それにはしばしば時間がかかる. 他人の考えを理解し, 行動を分解し, 自分のものにするためには時間がかかるからだ. 

 彼の言う通り, 目の前に向き合った人に憧れるのは確かに良くないのだろう. 接近するも何も, 既に相手は目の前に居る. 勝負事の文脈で向き合っているのなら, 相手をadmireしている暇はない. そして, プレイヤーには行動が求められる. 勝たなければいけないとき, 目的のためには遠ざかることも選択肢に入れなければいけない. 

 僕は他人に憧れる. 僕はまだ, 自分の憧れの人と向き合ったことはない. 今の所, 僕はそのことをとても幸運なことだと思っている.

教師・親

備忘として. 僕の両親は教師をやっている.

 教師にとって大事な任務の一つに, 子供に規律を植え付けるというのがある. 規律は一貫性である: 自分が言ったことを守る. 自分が果たすことになっていることをこなす. 教師にとって, 自分の子供と生徒とはどちらも同じ「子供」である. 教師を親に持った子供に特有の問題はここから生まれる. 

 僕自身の身を振り返る. 自分は家では教師として振る舞わないように心がけていると, 母から昔聞いたことがある. きっかけは色々あっただろうし, もしかしたら昔からそういう考え方を持っていたのかもしれない. けれど, 一番のきっかけは, 僕が中学受験をしていたときに, 塾の校長からそういう趣旨のことを言われたことだという. 他人の話に耳を傾けることができる, これはとても彼女らしいと思う. 父はどうだろうか?割と教師らしく振る舞う時があったように思う. 父には人間観と信念があり, そこからズレる人間に対しては厳しくあたるように思った. そして自分の子供に対しても, 例外ではなかった. 僕はまだ幼く, おまけに彼が口下手だったものだから(生徒に対してもそうだったのかもしれないが, 僕に対しては一層そうであるように見えた), 嫌な思いをした. 僕が10代後半になってようやく, 二つの壁が崩れてきた: 僕は父と似たような信念を持つようになり, 同時に父は昔よりも上手く話すようになった. 

 最近, 彼らといる時にこういう昔話をよくするようになった. 話していると, 昔腑に落ちなかったこと, 「意味不明」だったことが, 不思議なほど自然に理解できるようになる. 僕も変わったし, 彼らも変わってきた. 

 教師というのは不思議な生き物で, 自分の時間の多くを子供たちと過ごすことがそうさせるのだと思う. 教師が子供に影響を与えるのと少なくとも同じくらいに, 彼らは子供たちから影響を受ける. 子供という得体の知れない生き物に触れることで, 彼らは否が応にでも変化を強いられる.  そして, 教師が自分の子供と接する時にもきっと同じことが起きている.