ぼそぼそ

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常識

 「ディシプリン」「常識」の話の続き. 法学部だけどディシプリンが身に付いているか分からない, と友人に言われた. こういう反応を引き起こすあたりにこの言葉遣いの問題を感じる.

 程度と理想の問題, そして見えない上に見えていないものを見させようとしている問題がある. ぼくは常識は継続的に訓練を受けて身に付くものだと考えていて, 想定される常識のうち一連のカリキュラムを修了したときにどの程度が身に付くかは人によると思う. なので「ある場所ではディシプリンが身に付いて, 別の場所では身に付かない」というのはあくまでも傾向の話でしかない. もっともそういうことを言う当人が同じような意識を共有しているとは限らないと思うが. ついでに, そもそも想定される常識というのは「想定」でしかない. 

 もう一点, 選択をする当の本人から見るとそんなものは見えない. 良くても, 自分が得た種類のものを一番得やすかったように見える道が自分の通ってきた道, というだけだと思う. これは大変迷惑な話で, その点でこういうことを他人に向かって言うのは呪いをかけることに似ていると思う. そして, 呪われた人が何かに怯えるのと同じように, こういうことを言われた人も何かが見えるようになる.