ぼそぼそ

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農民とアーティスト

農民はアーティストになれず、逆もまた然り。農民がアーティストになろうとすると挫折し、逆の場合にはひどい抑うつがもたらされる(この抑うつには懲罰的な性質がある)。人間が生まれ持った向き不向きというのは簡単には変わらない。このあたりの根本的な性質が変化するのは偶然の出来事によってであり、意図して転換をもたらすことはほとんど不可能であるように思われる。実際、短い人生の中ではあるが、自分が見てきたなかでそのような転向に成功した人間は存在しない。農民は彼らが世に生を得たその瞬間から農民である; アーティストには自らの特性を抑えておくことはできない。芸術家は志なくして芸術家であり、芸術家であることから逃れられない。彼らに「きっかけ」を尋ねるのはあからさまな農民しぐさであり、それ自体をネガティブチェックとして捉えることもできるであろう。しばしば、挫折した農民が芸術について語ることがある。多くの人は彼らを評論家と呼ぶ。評論家の中に芸術家として成功を収めた人間は存在しないー少なくとも本人の意識の中においては。そのような意味で、アーティストとしての成功というのは極めて認識し難いものとなる。大雑把に(しかし自分はこの区別をある程度信用している)言えば、アーティストの成功は自分が、農民の成功は他人が、それぞれ決めるものである。