ぼそぼそ

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記憶が薄れていく

自分の記憶、つまり自分の興味について昔から特徴的だと思っていたことがいくつかある。他人に関する情報、あるいは世間一般のさまざまな事柄に関する知識をよく覚えられること。その記憶がよく続くこと。反対に、自分に関する事柄があまり覚えられないこと。アルバムに載っているような情報(例えば、生年月日、生まれた場所、生まれた時の体重、通っていた場所、等々)についてはよく覚えているのだけれど、直近の出来事をすぐに忘れてしまう。

 「自己検閲」なのだろうか?ともあれ、この傾向は年々悪化の一途を辿っていて、最近では悪い方向へと加速を続けている。簡単にいえば、自分の過去が「過去のこと」として圧縮されてしまい、復元できなくなってしまうのだ。3日前の出来事も、1週間前の記憶も、半年前の経験も、全て「過去のこと」になる。そしてそれらの一部はかき混ぜられて暗い倉庫の中へ放り込まれてしまう。鍵は持っているのだけれど、何せ幾分暗くて中に何があるかは見えないし、手触りで何に触れているのかを確かめていかなければいけない。

 考えているうちに気付く: 記録がされていないのだ。出来事は記録され、記憶される。記憶とは記録の焼き直しのようなもので、版木がなければ刷ることはできない。

 人と話していて余計なことを言ったと後悔することが多くあり、口数を減らそうと心がけてきた(それでも自分はよく喋るほうだと思うが)。話すことと話さないこととの間には暗い隘路が覗いているが、そこに明かりが差したように感じる。恥の感情は人間を黙りこくらせたり、無駄なことについて喋るように急かすのである。自分のことしか話さない人間というのを苦々しく思っていた時期があったのだが、その感情は羨望の裏返しだったのかもしれない。自己中心性に白い目が向けられるようになって久しいわけだが、これによって多くの人間が青白い顔をするようになっている。僕の顔もきっとうす暗く光っているのだろう。