一度だけ会って, 一生会わない人が居る. 一週間に一度挨拶をしていたけど, 一生会わない人が居る. 週に二度, 三度と顔を合わせていたけど, 一生会わない人が居る. 毎日隣に居たのに, 一生会わない人が居る.
人間関係は基本的に淡白なものなので, あるところで出会った人間と二度と出会わないということは当たり前のように起こる. なんだけれど, 習慣的に接する人が一定数居ると, この感覚が失われることがある. 人間関係の喪失に対して鈍くなるのである.
ある人の姿を毎日見続けていることは, 自分と他の人との間に生まれた関係が無に帰した可能性を排除しない. 一定の間隔を空けて同じ人と出会うことは, ルーティン化された日常の中では一般的なことだけど, 出会う人の顔ぶれは自分がその時染まっている習慣の影響を強く受ける. 習慣が変わったとき, それ以降も同じ人の姿を定期的に見ることは起こり続ける一方で, 今まで見ていた人の姿を見なくなったことにも気づくかもしれない.
人生で出会ってきた人のほとんどと, 自分は二度と出会うことがない. 親しい人も例外ではない. 親しい人と自分とを繋ぐ緒は, 様々な形で断ち切られる. 学校の切れ目, 住居の切れ目, 生命の切れ目. 切れ目は重層的で, たくさんの顔を見せる. 織られた糸が切れるときのように, 細い糸が次々プツプツと切れていくこともあれば, それらすべてが一度に切れることもある. 糸が一本しかなければ, 切れるものも当然一本しかない.
別れは予想がつくこともあれば, つかないこともある. 予想が付くことがあるとすれば, それは自分たちが抱えるすべての人間関係が途絶えるときがあるということだろう.