コミュニケーションを媒介するものは色々ある. 話し言葉, 表情, 身振り, 文字, 声, 文脈, 痛みなど. それぞれの媒体に対してコミュニケーションの手段が存在している. 媒体と手段とは必ずしも一対一に対応しない. 一つの媒体に依存する二つの手段を考えることができるし, 複数の媒体を組み合わせて生まれる手段を考えることもできる.
人それぞれ, コミュニケーションの手段には扱えるものと扱えないもの, 得意なものと苦手なものがある. 質問と応答とが続く会話が得意な人が, 他人の声音や表情, 場の文脈に依存する会話を苦手にすることがある. 逆もまた然り.
僕が不幸だと思うことの一つは, 言葉と文字を用いたコミュニケーションが苦手な人が, そのほかの媒体を使ってそれらをバイパスすることを, 多くの人が嫌悪しているように見えることである. 例えば, 痛みを使って何かを伝達するコミュニケーションは, 多くの場合, 明示的もしくは暗示的に禁止されているように見える.
多くの人が, 次の二つのことを十分に考えていないように思われることがある: 「伝達のために, どの媒体を使ったコミュニケーションが有効か?」「ある媒体を使ったコミュニケーションを取ったとき, どのような帰結が生じるか?」特に, 後者について日常的に考えることは一般的ではないのではないかと思う.
僕は幸いなことに, 言葉と文字を用いたコミュニケーションに抵抗がなく, また他の媒体がよく使われる場所にも馴染むことが出来た. 自分の周囲の人には, こういう点で強く感謝している. じゃがいもや玉ねぎを投げつけられたこともあったが.