他人と接する時, その人がどのような人なのかという情報を得ようとする人がいる. 彼らにはいろいろな手段がある. 彼らは, 相手に対して直接的な質問をすることができる. 彼らはまた, 相手がどのような振る舞いをするかを観察することができる. どのような行動を取るかは人それぞれであり, また人の勝手であるが, 状況に応じてoptimalな手段というのが存在することが予想される. すなわち, ある場所では直接質問をすることが適切であり, 別の場所ではじっと相手を見ていることが適切である.
彼らが取れる手段のひとつとして, 相手を試すことがある. これは前にあげた二つのパターンのうち後者の類型である. 他人の振る舞いからその人の性質を推定することは手間がかかる. 自分が得たい情報が得られるようなシチュエーションというのは限られていて, 自分の観察リソースにも限界がある. ならば, その下での行動から相手の性質を識別できるような状況を用意して, 相手をその中に放り込んであげればよい.
この行動は, 多くの人に嫌悪されている. 僕には今ひとつ理由がわからない. 他人に試されるのは, 手のひらで転がされているように思われるのかもしれない. チョロい人間だと思われているように感じられるのかもしれない. なぜ?