ぼそぼそ

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類友

類は友を呼ぶという諺がある. 一部の人にとって, この言葉の重みは人生を左右するほどに大きい. 友を呼ばなければ生きていくことができない人がいるのだ. 

 活力を糧に生きる人と, 無気力を糧に生きる人がいる. このうち前者のタイプの人々は, 似たもの同士で集まらなければ生きていけない. 彼らは活力を食べて生きる. それが自分が生み出したものなのか, 他人が生み出したものなのかは問わない. 

 彼らが仲間を見つけられないとどうなるだろうか. まず, 表情が弛むだろう. あるいは苦しそうに見えるかもしれない. 活力を食べている彼らの表情は, 常にとは言わないまでも, 明るい. 明るくない時には, 厳しい顔をしているかもしれない. 活力は膜を震わせ, それを持つ人を緊張させる. 無気力に囲まれるにつれ, 緊張は緩んでいくだろう. 

 

 

怖いもの

他人を怖がる人がいる. 人を怖がることそれ自体は自然なことである. 他人からは物理的な痛みを加えられるかもしれないし, 何もした覚えがないのに怒鳴られるかもしれない. 面と向かって侮辱されることもまた, 僕自身は怖いとは思わないが, 怖いと思う人もいるだろう. しかしながら, 中には側から見ていて危害を与えそうにない人間を怖がる人がいる. なぜだろう?

 人間は多面的であり, 自分の視野がその全てを捉えられるわけではないという指摘がありうるだろう. 尤もである. 温和に見えるあの人は, 自分の見えない所で他人にきつく当たっているかもしれない. 目の前で怖い怖いと言っているその人がその対象になるのかもしれない. 家族ぐるみの付き合いのある友人が, 親によく殴られるのだと話していたことがある. 隣の家に越してきた優しそうな若い夫婦が, 小さい子どもを夜に家の外に放り出して泣かせていたのを見たことがある. 人間は中身の入れ替わるびっくり箱で, 何が出てくるかは開ける人によるし, 開けるタイミングにもよる. 

 しかし, ある人が, それでもなお多面性を見出すことが難しいような人を怖がっている場合, どのように捉えればよいだろう?

 恐怖を, 見たくないものを見せられたときに生じうる感情の一部だと考えてみよう. ここでは, 感情は二次的なものであり, 見たものに対する反応へのラベリングによって生まれるものだと考える. この仮定のもとで, 「なぜ怖がるのか」という疑問は「なぜ見たくないのか」という疑問へと落とし込まれる. 

纏う, 植え付ける

品物を見て, 選んで, 買って, 身につける. 一連の選択の中で, それを作った人のトレースを自分に植え付ける. 

 記憶の定着に問題を抱えているという話をいろいろな所でしてきたし, ここにも書いたかもしれない. 定着を促すために, 触れる回数を増やすという考え方がある. 身につけることはそばに置くことであり, 意識から近いところに置くことである. 身につけたものを認識するたび, そのものの背景にある文脈が知覚される. 繰り返し触れるうち, 文脈を他人に向かって誦じられるようになる. 

 ものを所有すると, そのものを作った人の知覚や頭脳の不完全なトレースを手に入れることになる. 所有したものを身につけているうちに, そのフィルムは自分の側へと近づいてくる. やがて, 外から見れば, 重なり合うように見え, 内から見れば, 作った人のイメージが常にそこにあるように見える.

 ものを纏い, 自分を拡張する. 第一に言及されるのは身体の拡張で, それはより馴染み深いものであり続けるのだけど, その奥には, またはそれとは別に, 自分が纏うものは自分の精神を拡張する.

層化された価値体系

二つの価値体系の話をしよう. 二つは重なり合って存在しているが, その間の関係についてはわからない. 片方がもう片方に隠されていることは明らかであるので, 層化されている, という言葉遣いをする. 

 表にあるのは, 全てのものに価値がある, という考え方である. Aはそのものに価値がある. その存在がもたらす影響・その作用・もたらす反応, それらを全て無視する. AはAであり, そこに価値が存在する. 

 奥にあるのは, 何かを生み出すものに価値がある, という考え方である. AがBを生み出すとき, もしくはそれに貢献するとき, そのことに対してAは価値を持つ*1. AがBを生み出すと標榜されて価値を纏いながら, その実は真逆の因果が存在しているならば, 価値は真ではない. 

 二つの部分に属する価値の概念を混ぜ合わせて使ってみる. 後者の体系を受け入れない人は多く, またそれを受け入れていることを隠す必要が感じられることがある. このもとで, 前者は後者の隠れ蓑となる. 

 また, 後者のもとで誤った価値の認識を与えることを考える. 例えば, aによってxが生み出されたとしよう. aの価値のうちcredibleな部分は, xに対応するものだけである. ここでxに接続するものの集合Yを考える. この中でさらに, xを装うことができるようなものであるyを考える. yをaへ結びつけることで, 通常よりも過大または過小な価値を認識させることができる. 

 

 

*1:時間軸については考えないこととする.

夢は正夢

自分の夢を他人に語り, 他人の目を使って自分を縛る. 夢は正夢かもしれないし, そうじゃないかもしれない. 正夢と白昼夢とを分かるのは, かかっている圧力の大きさ. それは外からかかってもよいし, 内からかかってもよい. 多くの人は内側から圧力をかけることができないので, 夢を語って外から圧力をかけてもらう. ここでミスると惨めに見えるけど, 内的なモチベーションを持たない人間にとっては仕方のないこと.

ある映画について

この映画について, 公開までは多くのことが明かされなかった. そのことが頭にあるせいか, 名前を出しながら何かを書くような気がしないので, こういう形で書くことにする. 

 この映画は, 人間が生まれてしばらく経ち, 世界の大きな変化を経験するまでの様子を描いているように思われた. 大きな点は二つある: 一つは, 自分には及ばない何かによって自分の生がコントロールされていることである. ここでの生とは産まれることであり, この世に創り出されることである. もう一つは, 産まれてから時間を経るに連れ, 世界は一貫性を失っていくものであるということである. 

 一つ目の点について. これは世界観の表明という側面を持っているように思う. 自分が見えているもの, 経験していること, 見てきたもの, 経験してきたこと, そのようなものごとからは離れた事柄に思いを馳せずにはいられないことがあるかもしれない. この考えに答えを与えてくれる一つのフレームワークとして, 自分よりも高いところで自分の生死を司るものがあるという考え方がある. 人間はどこから来て, どこへゆくのかという問いは, この考え方の上に成り立つ. 

 二つ目の点について. 世界からの一貫性の喪失とどう向き合うかという点である. 生きていくうちに, 多面性に触れることが増える. ものごとのある側面と別の側面とを, 整合性を保って解釈することが難しいことが増えていく. これは自分の認知が広がることや高まることによるものであり, 多くの場合は避けられないものである. 

 二つ目の点に関する, 多面性への直面が, ある特定の事象を巡って発生することがある. この作品では, それは肉親との別離だった. 親の死に目に立ち会えなかった体験・母そっくりの継母・不可解な現象. ものごとの複数の側面のうちの全てが真実である必要はない; 実際, 母は本当に火事で亡くなっていたのだろう. このような事象はしばしば衝撃的なものであって, それを受けた人間の世界の観方を強く操作する. 継母を母と呼ぶようになる人もいれば, そうできない人もいる. 

 一貫した世界を構成するブロックは, しばしばある人の手に握られている. 彼を中心に回っていた世界を, 自分の手で再構築する権利を与えられることがある. 自分の城を建てるのも良いが, 城を打ち捨ててしまうのも良い. 僕たちが見せられたのは, ある人間がした一つの選択である. 自分が見た選択は, 自分が持たない要素に左右されたものかもしれない. 一貫性をめぐる選択は個人的なものであり, 外へ外へと答えを探るのは不毛な結末しか生まないのである. 

いくつかの興味深い意見について

いくつかの興味深い意見を見たので, それに対する自分の反応と共に書き残す.

  • 「自殺は残された人から一切の答えを奪う」

その通りだと思う. その上で, 所詮は他人であり, 答えを求めるものでもないと思う. 血の繋がった親子であってもそう. 答えというのが何に対する答えかは示されてしなかったので何とも言い難いが. 

  • 「妻子を残して自死することを批判する」

真っ当な批判だと思う. 特に, 残された子供への影響はとても重いだろう. 

 別れ, 離別は子供の頃の僕にとって恐ろしいものだったが, 多くの人が子供時代にこのような感覚を共有していたと思う. 小さい頃, 親が家を出ていく「フリをした」ことが何度かある. 本気だったのかどうかは分からないが, これは僕には実際に起こりうるものだと思われた. 場面は色々あり, 夫婦喧嘩・僕への叱責の文脈などを覚えている. 自分の肉親に二度と会えない可能性を仄めかされたことは強い衝撃として頭に残っている. 

 今はどうだろうか. 突然の離別の可能性や, その事象に対して, 昔よりは上手く振る舞える自信がある. 消えるなら, 残された人が一人前になってからなのである. 他人であればいざ知らず, 自分が作ったものを置いていくのはどんなものかと思う. そして, それでもまだ傷は残るのである.